この自由は詩う

今、このときをうたふ。

地平からみる世界

こんにちは。

 

 

実は冬になると撒き餌をします。

 

 

そう野鳥たちの餌を庭先などに置いておくアレのことーーーその主な内容はお米や雑穀なので近郊に棲んでいるスズメやハトたちが朝に夕にやってきては残さず平らげてくれるのです。

 

 

 

あるとき、部屋の窓から見える雪帽子を被ったモミジの枝に数羽のスズメが留まって、 なんの拍子にか一斉にこちらに顔を向けたときーーーその模様やさらには顔立ちが微妙に違っていることに氣づきました。

 

 

それがまた妙に嬉しかったことがこうして文字に起こしながらまた笑みを誘います。

 

 

 

今冬はなにぶん雪が多いので例年よりもやって来る数は多いか知れませんが、とにかく今日も元氣でいてくれたことに「ありがとう」と感謝するばかりです。

 

 

 

 

 

さて今回は冬のエピソードから始めてみましたがこれはどちらかいうとエピローグここからがプロローグといえるでしょうか。

 

 

それは一昨年、その冬もやはりか撒き餌をしていたわたしはご近所の女性からついて「野鳥は自然だから人間は介入しないことが当然。またこの辺りに野鳥がたくさん集まって来て糞害でもあったら迷惑だからとにかく撒き餌は直ぐに止めてくれ」と言伝で抗議を受け一先ず返答をしないまま引き取りました。

 

 

まあ世間ではよく聴くだろう話しです。

 

 

さらにも、実は彼女は井戸端会議の面々とその件について吹聴し町内の役員会の議題にしようと根回しに奔走したり自治体の担当課を尋ね県の条例違反かどうか? などを相談していたとのことーーーただ翌日その経緯や現状などを説明する為にお宅に伺うと渋々出て来られた彼女の表情は硬く視線も合わせようとはせず「あなたの話しを聴く耳はもたない」といわんばかりの反応に終始しました。

 

 

まあわたしは「けんもほろろ」でしたがどこか冷静で怒りはありませんでした。

 

 

 

実はそんな彼女のお宅ではお子さんが小さい頃に露店で買ったという、通称ミドリガメミシシッピアカミミガメを飼っておられます。

 

 

たしかその抗議を受ける二か月ほど前にか偶然に彼女からそのカメを直に見せられーーーそれは今さらながら、絶妙なタイミングであったとしかいいようがありませんが。

 

 

 

そのカメの存在を知った日まあこれはあくまで好奇心から調べたのですが、彼はアメリカ北部からメキシコ湾に流れるミシシッピ川の出身でもちろん野生ですから実際ペットに向いているとはいえず、 成体になるとサイズはそれなりに大きくはなるし凶暴な一面もあるらしくーーーまあ事実、彼は体長約二五センチほどでしたか成人女性が抱えて運べるほどの水槽に入れられじっとしていました。

 

 

既に起きていることに口を挟む氣はありませんがやはり彼はミシシッピ川で生涯を過ごすのがベストだろうに人間の勝手で連れて来られた上に彼にとっては余りにも窮屈そうな水槽に閉じ込められ、かつ食べたいモノを食べたいときに食すこともおそらく出来ず自由に散歩することすら叶わないーーーけれど笑顔を浮かべながら彼を紹介していた彼女の姿が当時のわたしにはとても不憫に感じられたことが頭をよぎったのはいうまでもありませんでした。

 

 

彼の安住の地はきっとそこじゃないのに。

 

 

 

ちなみにこのミドリガメの件をその表面だけで捉えて取扱い業者の責任だろう? と理解される方が大方かも知れませんがそうじゃないーーーこれまた、かの「卵が先かニワトリが先か」ということばの意図する、象徴的な現象であるといっても過言ではありません。

 

 

そうして彼女は彼女自身の仰る自然とやらにご自分こそがガッツリ介入しているという事実を全く無かったことにしているのがわかります。

 

 

不思議な話しです。

 

 

 

では他方、撒き餌の対象であるスズメやハトもたしかに野生ーーーただ先ずもって、 餌の主な内容がお米なので例えばこの辺りでもときどき見かける渡り鳥たちが食べる為に留まることはありませんしその対象の彼らはというと一様に近郊に棲みついている個体ですからその往来は自由で、 さらに撒き餌は庭先にただ置いてあるだけなので彼らはそれをいつ食べるも良しまた食べないも良しとつまりその自由は担保されていることがその前提にあります。

 

 

要するに彼らは決してわたしの管理するペットであるとはいえずそれはあくまでも自由の身であることは一目瞭然。

 

 

いやこれらはどこまでも事実の話しです。

 

 

 

ところで、 これまた彼女の仰る糞害については起こってもいないことは先ずもって論外であることを前提としても、サルモネラ菌のことを氣にしておられたとのことーーーただこれも当時調べたところによると実はこのサルモネラ菌というのはミシシッピアカミミガメ=彼女のお宅で飼われている、正に彼の甲羅から分泌されているもののようでして彼女はそれすらも知らずに、その原因を野鳥たちに押しつけその容疑者と決めつけていました。

 

 

そんな彼女は正にその足元をご自分ですくっているということにもなりますがーーー彼女からすれば、ことばの通じない相手であるのをよいことに野鳥たちをご自分の都合のみで「悪」と見做しているというわかりやすい一例であるといえるでしょう。

 

 

ですからその核心たる意図としては彼女の無知と無自覚からもたらされたものであるとわかる象徴的なケースとしてご紹介するに至ったまでのことでーーーだから彼女にとってはやはりかことばの通じない彼について否ご自分については始めからその容疑もかからないということになるのです。

 

 

 

まあそれはさて置きなぜこの件は起きたのか?

 

 

それこそやはり彼女の側からすると彼女であるわたしの為に、わたしの側でも同様にわたしであるわたしの為にーーーそうただ「わたし」の為にこそそれは起きたのです。

 

 

 

先ず彼女の立場で推察してみようと思いますがそれは前述したようにーーーその無知と無自覚という点からも彼女がそのキッカケになる先制パンチを繰り出すだろうことは、十二分に予測できた可能性があります。

 

 

そう起こるべくして起きました。

 

 

 

さらには彼女がご自分のことを棚に上げて奔走したーーー正に労苦を伴って迷走するのはある意味で目に見えていたともいえるでしょうか。

 

 

また彼女は、彼女のいうところの自然とやらに介入している「あなた」として思い込んでいるわたしが実はご自分でしかないのだということにも氣づいていません。

 

 

ですから相手はわたしだったわけでーーーいや実は当時、撒き餌を続けることが彼らにとって本当によいことなのだろうか? と多少なりともたしかに迷いがあったからです。

 

 

 

それはその件より前にそれが要因でか野良ネコに襲われた子がいてそれがあまりにショックでどうしたらよいのかわからなくなり余計なことまで頭で考えてしまい数日間ストップするほどにやはりか悩みまして。

 

 

ただそうした折も折、彼女との件をキッカケにさまざまな氣づきがもたらされたのはたしかで肚をくくるに至れたのはたしかでした。

 

 

 

 

 

さて話しを戻しますと先ず、 彼女はあくまでも従属的に隷属的に「そのように仕向けられて」そのように動かされているということにすら氣がついてはいません。

 

 

その上で、 わたしに対するなにかしらの感情も相まってのことなのでしょうか? それはわかりかねますけど彼女はわたしを含め敵視し「悪」と見做し仲間とともに吹聴しあわよくば賛同者を集めて吊るし上げようとしました。

 

 

そうそれは正にエゴそのものの有り様です。

 

 

 

さらにそれらはどこまでも感情的かつ情緒的でいうなら完全に右脳的活動に偏った態度であるといえーーーまあこの点についてはまたの機会にさせていただきますが、感情に囚われ過ぎるとその暴走はときに止まらなくなり出来る話しも出来なくなることが多々あるのはあなたもご存知ではないでしょうか?

 

 

 

では一方のわたしの立場ではーーー余談として彼女がカメを飼っていることを知っていてその彼がどう見ても窮屈そうな水槽に入れられ自由を奪われていると感じてはいますが、それとはあまりに対照的な彼女の満足氣な笑顔に疑問というか違和感というか、それにすら氣づかない彼女を不憫だと感じながらも、結局はどうすることもしないままに現在に至っています。

 

 

またあの抗議そのものが不愉快でなかったとはいいませんが先ずは一考を巡らし翌日を待ってあくまでも冷静に撒き餌に至った経緯と現状を説明しようと行動しました。

 

 

しかしながら彼女とは対話にならなかったのでこちらも言伝をお願いするに至ったわけですがーーーあれ以降も、彼女のわたしに対するスタンスにはとくに変化が見られずわたしもあえてそれに抗って関わろうとはしていません。

 

 

いやお互いに挨拶は交わします。

 

 

ただご推察いただけるようにわたしは変わらずいや、 撒き餌を楽しく続けているーーーこれは直接の理由でないけれど条例違反には該当せずまた役員会の議題になることもなく結果として彼女の望むような展開にはなりませんでした。

 

 

 

お氣づきでしょうか?

 

 

そう彼女は終始いや現在に至ってさえも感情が優っているーーー対するわたしもたしかに感情に動きはありましたが冷静に思索も練った上で対話を図ることを意図し、実際に行動に繋げていることがおわかりいただけると思います。

 

 

また彼女のカメのことや彼女の有り様について口を出すことはしていません。

 

 

そうそれは常に自覚もあって意識的に。

 

 

 

いやわたしもまだ道半ばであるのはたしかですーーーただこの機会における彼女の姿を通して見せられている有り様を反面教師として参考にし氣づかされることも多々あってかそのお陰でこそ、 常に冷静に応答できたことはいうまでもありませんから。

 

 

またちなみに彼女は反応でわたしは応答であるといえますがこの違いはとても大きい。

 

 

 

ですから彼女には感謝しています。

 

 

そして事実わたしは以前より「わたし」らしくいられるようになり、彼らの存在をただ喜びと感じられるし、すべてが愛おしいと感じられるーーーだからこそ彼女に対してはやはりか感謝しかないのです。

 

 

 

また彼女がいまだあの件を引きずっているかのような態度を見せたとしても事実そうなのだとしても、彼女を変えようとは思いませんし変えられるとも思っていませんのでわたしは「そのまま」をただ受け入れています。

 

 

やはりか結局は彼女がご自分で氣づくしかないのでそれはやはり彼女次第ーーーそれはわたしとは直接的に関係せずとも彼女が氣づいた暁にその態度は変わっていくことでしょう。

 

 

 

 

 

ではでは次に彼女の仰る自然とは何なのか?

 

 

これはおそらくも、現代の大方の人たちに共有されているものでその聴こえは決して悪くないーーーただしこの自然などということばはこの日本にはありませんでした。

 

 

 

なぜに人間は自らを自然から引き離そうとするのでしょう?あなたにはその答えがおわかりになるでしょうか?

 

 

 

ということで、 この続きもまた長くなりそうな氣配を汲み取って次回とさせていただきます。

 

 

 

P.S. 自らに然り?然も自ら?