この自由は詩う

今、このときをうたふ。

衣更のすゝめ 続篇

こんにちは。

 

 

春の衣更は旧暦の四月一日から五月四日までとありますがご自宅におられるのならやはりか今この時期をお奨めします

 

 

そう次いでの断捨離もお奨めで。

 

 

そのトキメキをモノサシにする方法ならご自身の本音に氣づくよい機会になるか知れませんし理にかなっているともいえますからその機会にぜひお試しになられるのがよいでしょう。

 

 

 

流行など氣にする必要はありません。

 

 

そうこの世界の流行というのはファッションも然りでなんであれ密室で数人の男女らの思惑によってか決められているもの。

 

 

ですからご自身の感性にただ従ってみるというのはやはり大事だということです。

 

 

 

その独自性を表現するのはあなただけなので。

 

 

 

 

 

さてここからが本題です。

 

 

そう以前「未来から紐解く」でわたしたち人間の未来の姿形またその能力は斯斯然然かくかくしかじかとなるでしょうと述べました。

 

 

そうして先日だったか巷では有名らしいブログのとある記事にあの知る人ぞ知る佐清スケキヨさんの画像を見つけてしまって。

 

 

ハッとしました。

 

 

 

いうなら現在の日本ではマスクという名の仮面を着けるスタイルが流行中いや得てして日本人のほとんどが密室で数人の男女の思惑によって決められた流行に乗っかっておられますが。

 

 

コレ自称や他称とわずセンスのよい方にとっては実は時代錯誤の見苦しいものでしかないことにもはやお氣づきでしょう。

 

 

 

いやそれはさておいてもコロナ渦とやらが正に起きていると固く信じておられるマスク常用者の方々は早くも横溝正史さんの作品「犬神家の一族」の登場人物であるあの佐清スケキヨさんのような姿にどんどん近づいています

 

 

そう来シーズンの流行は正にそれそのものかも知れませんが真逆その流行にすら乗っからんとする勢いです。

 

 

それにお氣づきでしょうか?

 

 

コレおわかりでないならぜひお子さんと一緒にいやご自身でお調べになってみてください。

 

 

 

また片やコロナ渦とやらを無常の中の産物だと見抜いてその自由をただ謳歌している人たちについてはこれからも進化の道を辿ることになるでしょうからその姿形は無常にありながら内面においてはさまざまな知的能力などが開花する可能性もあるといえるのです。

 

 

つまり前者のマスク常用者の方々は退化の道を歩んでおられることに他なりません。

 

 

これもまたそうした方々の自由なのでわたしに結局どうすることも出来ませんが哀しいことこの上ないのは事実で。

 

 

ですからこれまで幾度となく述べてきました。

 

 

なにをする必要もないとなにも恐れる必要などないとーーーそうウィルスもまた愛でしかないのだと述べ連ねてきたのです。

 

 

ちなみに約一億年は続いたといわれる縄文時代の先人たちはわたしたちより遥かに軽装だったとそのように理解されておられる方が殆どかと思います。

 

 

だとしたらその想像の翼を羽ばたかせるだけで自ずと答えは明らかとなることでしょう。

 

 

そうどうぞ想像してください。

 

 

 

 

 

さて愛とは変幻自在だと述べました。

 

 

世間で引き寄せの法則とやらがブームとなってはや久しい昨今ではありますが結局はこういうことに他なりません。

 

 

つまりコロナウィルスを悪だ敵だとする方々に対してそのウィルスはその望みのとおりに悪ににもなってくれるということ。

 

 

そう二元の世界においてはウィルス全般つまりエクソソームの役割にもやはり両極があってその該当する細胞の修復と進化をも担っていることを鑑みるならそれまた愛でしかないのですからーーーそう愛であるが故に悪だ敵だとそのようにマスク常用者のみなさんにそう望まれるのならばそこはやはりか望むところでしかないということです。

 

 

 

ですから極論をいうならあなたが愛であるならその眼前の世界のすべては愛でしかなくーーー逆も然りなのであなたが愛でないならその眼前の世界のどこにも愛は見えないということ。

 

 

つまり愛とは決して呼べないだろう不安や心配恐怖などで満ちているということにもなってしまうといえるでしょう。

 

 

 

そうしてマスクをしてもしなくてもどちらでも構わないとお考えになる方もおられるようですがーーーいやそれもまた自由なのですけどそれでも本当のところどうでしょうか?

 

 

その使用済みマスクを結果ゴミとして産出してしまうマスク常用者の方々はその因果から環境破壊を引き起こす可能性がありますしまたそれ引き受けることになります。

 

 

そう脱炭素だのプラスチック製品の有料化だのを声高に叫んでいる傍らでこれまた化学物質で作られたであろうその使用済みマスクの廃棄量つまりどれほどになると予測され見込まれているということなのでしょう?ーーーまたそのように本来なら不要なゴミを増やしておられるのですからその辺りのことはもちろんお考えになりましたよね?

 

 

いや考えるのも面倒といわれてしまいそうですがとても大事なことです。

 

 

いやご存知ならなにもいうことはありませんが要するに不安や恐れの先にあるのはこれもまたいつまで経っても不安や恐れでーーーそうした悪循環は決して止まらなくなることでしょうしそれにまた囚われるようになります。

 

 

そうこれは除菌殺菌なども同様なのです。

 

 

あなたのその身体をこの大地に照らし想像してみるならその答えはどうあっても一目瞭然だということが出来て。

 

 

そう自業自得でしかありません。

 

 

 

 

 

さてどのような宗教を信仰しておられる方々においてももしくは無神論の方々においてもこれについてはきっとどこかしらでご存知のはずでーーーそう神とやらは愛でありその神とやらはこの世界を創造した創造主であるだろうことはどこかでご存知のはず。

 

 

そうこの世界はつまり愛そのもので創造された世界であるということを誰もがどこかしらではおそらくご存知のはずなのです。

 

 

そうしていうならまかり間違っても世界を創造したのはわたしたち人間ではありません。

 

 

そうこの世界はわたしたち人間の誰にとっても生まれたときからすでにありました。

 

 

いやもっというのならわたしたちが生まれる前からアダムとイヴがエデンの園から追放される前からそのずっと以前からこの世界はあったといえるのです。

 

 

つまりはすべて存在していたここに人間はあとからやって来たということ。

 

 

 

そうわたしたち人間の誰しもを表す漢字の禾編のぎへんの私とはあとからやって来た新参者であるとしかいえません。

 

 

そう誰もが赤子として産声を上げたとき眼前はすでにすべてがありました。

 

 

そしてその身体もあったことでしょう。

 

 

その上でものごころつき始める頃に自我もまたあとから表れてーーーそうしたことをあなたはもはや覚えてはおられませんか?

 

 

そうわたしたち人間の誰もが同様にそのようにあったはずなのです。

 

 

そう誰もが漢字の禾編の私である以前はただのわたしでその以前はカタチさえない肉眼で見ることの出来ない音色の「わたし」でしたーーーそうなに一つ身につけていない真っ裸の真っ新な「わたし」でしかありませんでした。

 

 

 

だとしたらその身体一つで産道をとおり抜けた真っ裸の赤子は人類史上最強であって片やさまざま鎧を幾重にも重ねさらには仮面をさらにはマスクまで常用する大人たちとはどうあっても人類史上最弱だともいえます。

 

 

それではあまりに情けないと思いませんか?

 

 

その上で子どもたちを守るなどとどないな口で仰るのでしょう?

 

 

 

そうして用意されていたすべてにつまり世界に後づけするように歴史とやらはあって。

 

 

そう歴史は人間がこさえたいうのはつまり歴史ということばを作っただけのことでそれ以外のことについては結局のところ自分たちに都合のよいように解釈しただけです。

 

 

それだけ。

 

 

いやはや人間は呆れるほどに手がかかります。

 

 

 

 

 

さて「祇園精舎の鐘の音」で始まる平家物語大人のみなさんについては大抵はご存知のことと思いますーーーだからこの無常の世界で変わらないものなどなに一つないと至極当たり前のことを述べ連ねてきました。

 

 

しかしながらマスク常用者の方々はコロナ渦とやらを固く信じている方々はその至極当たり前真実にすら抗っている大バカ者です。

 

 

 

ちなみに先人はわたしたちに「馬鹿につける薬はない」と「馬鹿は風邪をひかない」と伝えています。

 

 

つまりは抗生物質おろかワクチンなどなんの意味もないと先人からすでにいわれてしまっている大バカ者の方々には結局マスクも同じ類いのものでしかありません。

 

 

それでも本当に必要なのですか?

 

 

 

まあ結局そうした方々にとって内面というのは二の次三の次ーーーいや要はその身体を維持し構成している細胞たちのこと二の次三の次でしかないのですからやはりかその外面そとづらにしか興味はなくその悪循環はこの上なくいつまでも続くでしょう。

 

 

そうそれは外見だけ外面そとづらだけを結局は内面についてはそっちのけですからなんであれ一過性幸せを知ることしか叶うはずもないとそのようになるとしかいえません。

 

 

コレ思い当たる方ばかりではないですか?

 

 

 

ですからそうやはりかマスク常用者のみなさんは正正堂堂とはしていられないからまたはコソコソしなくてはならない理由があるからそのおを隠す為にかマスクを着け続けておられるということなのでしょう。

 

 

いや存在における理解がそのようにあろうともいたしかたないと思います。

 

 

 

そのマスクどころの話しではなくその仮面をもわたしの経験したような強烈な体験でもってか無理矢理に剥がされたくなかったら自らで外すほかないということ。

 

 

あなたが愛なら間違いなくその眼前は愛でしかないーーーあなたが愛ないのならこれもまた間違いなくその眼前に愛はありません。

 

 

ただそれだけのことなのです。

 

 

そうした至極当たり前のことに今ここでもはや氣づきになられてはいかがかと。

 

 

 

そうその世界は有限であって時間もまた有限でそうしてあなたの生命もまた有限でーーーそう無常である人間でしかないかぎりその寿命から逃れることが出来るはずもありません

 

 

とどのつまりその時間はどれほど残されているとお考えでしょう?

 

 

 

よい機会ですからぜひ逆算してみてください。

 

 

 

P.S. その明日がないとしたなら?