この自由は詩う

今、このときをうたふ。

狂人たちに告ぐ

自然は永遠だ。

 

 

そう自然は常にその様相をその様態を変化させながらーーーそう不可抗力によってそのカタチを変化させながらも永遠に存在している。

 

 

ただし人間はどうあっても死ぬ。

 

 

からして人間が自然に癒されるのは致しかたいことなのだろう。

 

 

そうそのどこかしらで永遠に恋い焦がれているからだ。

 

 

からして人間が自然に敵うはずなどないのはしかたないことなのだろう。

 

 

そうそのどこかしらでは自分が無力であること知っているのだ。

 

 

だからその負け惜しみをどうにかしたくていやその負けを認めたくないから先手必勝とばかり配する。

 

 

しかしながら人間は必ず死ぬ。

 

 

からしてそれらは然も砂のようにその手からこぼれ落ちそのすべては無に帰すだろう。

 

 

いつの世もそれこそ真実で事実だ。

 

 

 

だからそうもしも自然と永遠とせめても友情を育みたかったらそのなかに分け入っていくほかない。

 

 

それはあくまでも客人として謙虚にーーーいやストレートにいうなら己れを消してつまり人間である自分を忘れ忘我してそのなかに分け入り身を置くほかない。

 

 

それしかない。

 

 

 

そう至極当たり前のことなれど武器などは持ち込まずその知識も言語も持ち込まずあくまでも客人としてーーーいや出来るなら死人しびととしてそのなかに在るほかない。

 

 

そのようにあれたらいずれ自然はあなたを受け入れてくれることだろう。

 

 

そのようにあれたらいずれあなたもその一員になれることだろう。

 

 

そうあれたらいずれあなたは何者でもない命として存在として今ここに立つことが出来るかも知れない。

 

 

そうしてあるがままのありのままそのままの命として永遠の存在として今ここに初めて誕生に至るやも知れない。

 

 

 

ちなみにかの「和を以って尊しとなす」は人間関係における和という意味ではあり得ない。

 

 

いや人間同士の和というより寧ろ自然との和を以ってこそ尊しということが出来る。

 

 

そう実は関係などと呼べるものは一切存在していない人間は必ずや死ぬ。

 

 

 

いや人間の私心わたくしごころとやらで延命を目論んでみたところでその真実は事実は変わることなどない。

 

 

その事実を真実をそうした今なればこそ丁寧に咀嚼してみることだ。

 

 

 

そう結局は人間だけが死ぬ。

 

 

そう結局のところ人間だけ自然でない。

 

 

 

今だからこそ狂人たちに告げる。

 

 

生きながら死人と成りて成り果てて思うがままにするわざぞよき。

 

 

 

 

 

P.S. 今たそかれのときに。