この自由は詩う

今、このときをうたふ。

革命でない

いやかつて和尚もそのようにいった。

 

 

そうこれは革命でなく常なる一期一会を通してひたすらに自らに向き合う道だ。

 

 

いや自らを神仏を知る為にさらにそれとひとつになる為に当然に避けては通ることの出来ない通過儀礼のようにもある。

 

 

しかして唯一無二のメシアたる救世主とやらがそのなにもかもを救うなどという夢想にはなく誰しもがその救世主となる為の実を隠しもっているといえよう。

 

 

そうもはや新しい人たちは無名のなかにあって名誉や名声やそれらに類するようなものなどには言わずもがな興味すらなく恐れるものはないだろう。

 

 

いや子どもがファで被子植物なら大人とはラの裸子植物のようにありつまりは全体とひとつであるから哀しみや痛みなどが自らに起きているかのように感じることもあるが逆に喜びもひとしおのようにありそれは人間の幸せの比でないことをも知るだろう。

 

 

そうして加護されてもいる。

 

 

 

いやこれは至極当然のことを至極当然とする道ほかならないしこと現代にあってはまま反逆道であるとさえもいえるやも知れない。

 

 

して産道はひとり孤独に潜るもの。

 

 

 

 

 

P.S. そうしかしてその自由でしかない。