この自由は詩う

今、このときをうたふ。

大地とともにある 続篇

それは一枚の絵のように。

 

 

いや大地とともにあるなら適に例えるときモネ睡蓮のような風景画にみられるだろうものの如くに正に調和があり正しく大地とともにあるものとそのようにいえるだろう。

 

 

そう全体と一体化したモチーフに寧ろか主張の感じられることはなくときに水音がまたは風がひいてそれにおける芳しいだろう香りがほのかにも漂ってくるかのような状態のこと。

 

 

いや巧妙で狡猾な自我の一枚とはいうならその自分をいかにも際立たせる自画像やもしくはその引き立て役となるなにかしらを誰かしらを必要とする。

 

 

して自我はその光をスポットライトを浴びるかのように常にご自分に仕向け眞我は常にもその光で世界を照らす。

 

 

 

はたしてその灯火は静かに燃えていてまた四方八方の光も闇も分け隔てることなく照らしそのなにもかもをそのように生かすが自我はその癖のままにか闇から目を背ける。

 

 

そう神や仏や天使は当然に受け容れるだろうがいわゆる悪魔やら鬼にはそうでない。

 

 

しかしながらそれは愛でない。

 

 

 

してもはや風の時代の只中にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P.S. いや大地と風はともにあるということ。