この自由は詩う

今、このときをうたふ。

2021-10-01から1ヶ月間の記事一覧

して眞に生まれる

そうそれは再誕生すること。 いやドレミファソラシドをご存知と想ふがこれ日本ではかつてハニホヘトイロハだった。 そうちなみに人間はそれに照らすときミファのホヘで一瞥体験の起こることはあるからソのトもときにあるがその界隈のほとんどをか占めている…

なにもかも泡沫の夢

いやそもそもコレ死なない。 いや人間はやはり夢中をか生きるからいずれにせよ必ず死ぬがコレ生まれてもいないから死ぬこともないといえよう。 そうだから例えばこの読み手が人間であるときはおそらくご自分と同様にこのブログにおける書き手をも人間と思い…

雫は落ちてそして広がる

雫がポツリ落ちた。 そうして〇は静かに広がる。 そう声もなく音もなくただただ広がる。 そうしてポツリ落ちた雫はもはやどこにも跡形すらもなかったが〇は大きく大きくなりながら静かに広がっていった。 そうして〇もまたそのうち消えていった。 そう音もな…

わたしにはなにも出来ない

そうこれに尽きる。 そうそれは人間のいうわたしのことだ。 いやつまるところ悟りも覚醒も解脱もわたしの力などの及ばないところで起こる。 いやその身心脱落でさえも絶体絶命という心境のなかで意図もなく起こる。 いやそれはわたしに起こるのでない。 そう…

水清ければ月宿る

月が美しかった。 いやこの諺はかの孔子の「水が澄んでいたら月はきれいに映る」「心に穢れがないなら神仏の恵みや加護が与えられるだろう」とする例えであるがその神仏における穢れとは人間の考えのおよぶようなそれといえない。 そう宇宙の法はどこまでも…

そう遊ぶとは

やはりただ在ること。 いや例えばそれではいついつからこの瞬間から遊ぼうとすることでない。 そうその赴くままただそのようにそのままありのままあるがまま在ることだ。 いやコレ遊という漢字の成り立ちからもしかと観じられるがそれは思考により練られた意…

地蔵の本願

いやコレおばあちゃん子だった。 そうしてその初めての師匠はその祖母だったが彼女の信心深さ故の縁あってかこの幼子の憧れの師匠は地蔵菩薩だった。 いや地蔵菩薩は未来仏たる弥勒菩薩が下生するまでのあいだこの衆生の一切を救うが為にはたらくというのは…

然してその心は

そうなにをもしようとはしないこと。 いやその内奥からそれを突き動かすかのようにやってくるその流れに逆らうことなくそのまま応じたらよい。 いや必要なことなどなにもないからありのままそのままあるがまま在るとよい。 いやなにも問題ない。 いやいやノ…

ここに菊花開き想ふ

そういま寒露の頃。 いやそのこよみどおり朝晩の冷え込みもまして秋の深まるばかりの今日この頃にある。 そうしてその次候が菊花開キクノハナヒラクと正しくは後日からそれに当たるがここには早くもそれが開き静かに微笑んでいる。 いやさらにその傍らでは蝗…

馬鹿はバカを見るか?

そうこの馬鹿はひとつに正直だ。 そうしてそれはわからないことはわからないと知らないものは知らないというだろう。 いやだから馬鹿はバカを見るか?だ。 そうとなると逆にそれは自らが無知であることについては知っているということにもなるからこれこそが…

天知る神知る我知る子知る

そうなにもかもお見透しだ。 そうだからしてわからないことはわからないと知らないものは知らないとそれでよいのだ。 いやなにも知らないともいえよう。 そうだからありのままそのままであるがままでなにも問題などない。 いやだからして何者でもないナニモ…

いやつまるところ

なにも問題はない。 そうだからして結局なにを為そうと為すまいとそのどちらでもよいことだ。 しかしながら人間にはその自覚がない。 いやその蒔いた種を自らで刈り取るということについてはどこかしらでご存知だろうがそれは大抵か忘れた頃にやって来る。 …