この自由は詩う

今、このときをうたふ。

2021-01-01から1年間の記事一覧

土壇場

そう大樹の根は深く広い。 してその地中深く広く根を張っているものほど風の吹くさまに微動だにしないだろう。 いやいうなら風は常に吹いている。 しかしてやれマスクや薬やワクチンやそれらに類するなにも必要としない。 そう新しい人は大樹のようにその大…

いや善悪の話しなどしない。 まま事実を述べたとそれだけのことだがしかしながらカタチのみに囚われるとモノはおざなりになるというほかない。 そう人間はやはり近視眼的にしかモノを見ようとはしないしさらに夢中にかあってそう地獄の一丁目と三丁目で大騒…

喝破

いやそれは大事なこと。 そう太陽は光は天の頂きを目指して昇りいずれにせよ地平に沈む。 して人間もまたその頂きを目指して登るがこれまたいずれにせよ大地に還る。 そう人間が生まれたらいずれ必ずや死にゆくのもやはり至極当然の流れにほかならない。 し…

無色透明

してさらに先日のこと。 そうどこからかやって来た野良猫がこの眼前で甘えた声で鳴いたからこの身は足早にキッチンに向かいそうして握りしめたいくらかの煮干しをその眼前にときほぐしてやると瞬く間にそれはきれいに平らげていなくなった。 いやこれらはこ…

流れのまま

そうある日のこと。 いや庭に続いている一筋のコンクリートの通路の端にオオスズメバチの亡き骸があった。 してそれを手のひらに乗せその落葉の敷き詰められた庭の片隅にそっと埋葬した。 はてまた別のある日のこと。 そうある道すがらたばこの吸い殻が落ち…

見えないもの

いや昨今ことに惟ふ。 そうあくまでも言語は遣ってこそのものでそれに囚われ遣われているようでは本末転倒であるというほかにない。 にしても日本語は面白い。 いや深遠さや情緒そのなにもかもが神妙にあるなかひとつにその主語のあるやなしの左右なく通じる…

旅は終わらない

そう自我におけるシは死だ。 いやいずれその身が朽ちて果ててもその自我の旅はやはりか続くこととなってそうして生まれたる誰かしらがつまりその課題その過去世をもその背に負うことになるといえよう。 してそれらがその由来ともなる。 そうそれらをドグマと…

はにほへといろは

このハニホヘトイロハは。 そうかつての日本でのドレミファソラシドでもあるが例えばドはドグマのドでレは霊魂のミは身のミでファは自我かつ被子のまたソは素性のラは統合かつ裸子のさらに唯我独尊のしてシは即ち死のもしくはラにおける解脱の涅槃のシといえ…

生きながら死ぬこと

そう自我は常に瀬戸際だ。 そうして当然自然の起こりは常に是にありその起こりそれ自体を是非とするならその先はどこまでも是非などがついて回る。 そう自我はその延命を選択する。 しかしながらもはや死が決まっているならそれ以前に自我の死を通過すること…

してわたしはなにもしない

そう世界は無常でしかない。 そうして今や世界は加速度的にそれは目紛しく変化し続けているがしかしながらどうしようもないというほかにない。 いやわたしはそれをただ眺める。 そうつまりは不自然でしかないことに関与する立場にはなくもはや遠くかけ離れた…

少女は悪魔だったのか?

いや少女は悪魔と呼ばれた。 いや少女は幼少の頃から感受性が強くさらにはあまりに正直でそれは素直で自由奔放であったから周囲の大人たちをときに困惑させときには怪訝な顔にもさせた。 そうだから母親は宗教の神に祈った。 そう敬虔なクリスチャンであった…

是にしかない

そのままでよいとは。 そう読んで字の如く「そのまま」でよいということにほかならないし例えばただ寛いでいたら眺めていたらよいということでもある。 いや世界とは当然自然に立ち現れてやがて必ず過ぎ去ってゆくものであるからなにをする必要もなく選択す…

自然 続篇

そうそれは自然じねんだ。 しかしてそれ以上でも以下でもないとはつまりそのまま完結しているということ。 してその本体はそれでないということ。 そう本体は永遠にほかならないということまた生死を超えているということ。 いやだからしてただ見ることだ。 …

自然

そう京都は天龍寺に庭園がある。 いやその初代住職にして日本初の作庭家とその名の知られている夢窓疎石ムロウソセキの案により具現化した曹源池庭園のことだ。 しかしてそれは現在に至ってもやはりか人々を魅了し名園としても名高い。 いや当然にその庭には…

天地人

そうやはりか順序は大事だろう。 そう大地のなんたるかを知らないものに天空を知ることなど叶わない。 いやその場凌ぎの寄せ集めなら有頂天になるがオチどころかまして安定など望めるはずはなくそのわかりやすい例として政まつりごとなどは無理だ。 そう二世…

悟性から語る

そう人間は上ばかり見ている。 そうして上から見下ろすのも好きだ。 いやしかしながら結局その山を登りつめてみたところでいずれは下山しなくてはならない。 そうどの道その天辺では安定はないから大地に根を深く広くはる為にもいずれは下山しなくてはどうし…

あなた次第では

そうかのウィルスの絵になる。 いや地球はその母性においてそのなにもかもをひとしく育むからしてもちろんなにもしないが今回の一件でご自分たちをそれに貶めた張本人は人間であるということになるだろう。 そうして人間はやはり夢中にある。 いやしかしなが…

故に描いてみよう

そうわたしたちはナニか? いやよかったら絵にしてみる描いてみるまたは想像してみるとよい。 そうなにかに氣づくやも知れない。 そうそれは悲しいこと。 P.S. いやその画力次第だ。

その大地に根をはれ!

してあなたはナニモノか? いや今はこの問いに尽きるだろう。 そうまま立つのみ坐るのみだ。 しかしてただ在ることに尽きるだろう。 P.S. して今わたしたちはナニか?

革命でない 続篇

そうこれはやはり革命ではない。 いやさらに民主主義や共産主義などに表されるような主義などでもないから数でか押し切ってどうのというようななにかしらではなく人間が一丸となって戦うとかいうようなものでもなく所詮か人間は自然に敵うことはない。 そう…

革命でない

いやかつて和尚もそのようにいった。 そうこれは革命でなく常なる一期一会を通してひたすらに自らに向き合う道だ。 いや自らを神仏を知る為にさらにそれとひとつになる為に当然に避けては通ることの出来ない通過儀礼のようにもある。 しかして唯一無二のメシ…

これ

いやコレと呼ばれるもの。 そうナニモノともいえないものは農業従事者や料理人や詩人やときには女性のようにも男性のようにもさらには阿呆のようにあることすらもやぶさかでない。 いや望まれるなら神や悪魔のようにも仏や鬼のようにもあるだろう。 そう必要…

自由自在

そうクマムシとやらが存在する。 いや彼らは正に示しで具現化したものだ。 そう彼らは極限状態におかれた折に正しく即身成仏といえるような乾眠に入ってさらにその体を脱水状態にして保つ。 そうして真我もなにを食すこともない。 いやしかしながらこの世の…

眞言マントラ

いや慈悲の瞑想というのがある。 そうそれはお釈迦さんの提案によるものであるからままご存知の方もおられるだろう。 いやその詳細はここでさておくとするがそれを応用し次のように唱えることもある。 しかして「全ての生きとし生けるものが幸せでありますよ…

弥勒の世に惟ふ

それは正に567だ。 いや弥勒世は567で666だからしてつまり平らかな世界といえよう。 そうさらに666は999と逆立ちをかして理のヒカリの「リ」の世界となりそれは嘘のない真善美の世界ともいえるからその自覚をもってして自らに向き合うほか道…

して眞に生まれる

そうそれは再誕生すること。 いやドレミファソラシドをご存知と想ふがこれ日本ではかつてハニホヘトイロハだった。 そうちなみに人間はそれに照らすときミファのホヘで一瞥体験の起こることはあるからソのトもときにあるがその界隈のほとんどをか占めている…

なにもかも泡沫の夢

いやそもそもコレ死なない。 いや人間はやはり夢中をか生きるからいずれにせよ必ず死ぬがコレ生まれてもいないから死ぬこともないといえよう。 そうだから例えばこの読み手が人間であるときはおそらくご自分と同様にこのブログにおける書き手をも人間と思い…

雫は落ちてそして広がる

雫がポツリ落ちた。 そうして〇は静かに広がる。 そう声もなく音もなくただただ広がる。 そうしてポツリ落ちた雫はもはやどこにも跡形すらもなかったが〇は大きく大きくなりながら静かに広がっていった。 そうして〇もまたそのうち消えていった。 そう音もな…

わたしにはなにも出来ない

そうこれに尽きる。 そうそれは人間のいうわたしのことだ。 いやつまるところ悟りも覚醒も解脱もわたしの力などの及ばないところで起こる。 いやその身心脱落でさえも絶体絶命という心境のなかで意図もなく起こる。 いやそれはわたしに起こるのでない。 そう…

水清ければ月宿る

月が美しかった。 いやこの諺はかの孔子の「水が澄んでいたら月はきれいに映る」「心に穢れがないなら神仏の恵みや加護が与えられるだろう」とする例えであるがその神仏における穢れとは人間の考えのおよぶようなそれといえない。 そう宇宙の法はどこまでも…