あけましておめでとうございます。
お年始いかがお過ごしでしたでしょうか?
さて一昨年ーーー新年号が発表され、世の中で再び「万葉集」に光が当てられたことが、今、懐かしく思い出されます。
そこで今回は年始めにふさわしく万葉集収録の歌から解る国名「日本」の読み、つまり正しい呼び名を明らかにしておくことにしました。
いやいや、 鵜呑みの必要は全くありませんのでお楽しみいただけたら幸いです。
ともあれその歌とは第三巻収録の次の歌。
「青丹よし 奈良の都は咲く花の 薫ふがごとく
今盛りなり あをによし ならのみやこはさく
はなの にほふがごとく いまさかりなり」
この歌を詠んだのは小野老おののおゆ。
奈良時代の貴族でかつ歌人であった方のようで、その内容としては単純に「奈良の都は今、花が咲き、その芳しい香りを匂わせているかのように繁栄を極めていて盛況である」様子を歌ったものですがーーーこの中の「にほふ」については「香りがする」という字面そのものの意味でつかむよりも「さまざまな花々が、色鮮やかに映えている」という意味合いも含めて使われたと理解した方が良いような氣がします。
さらには仏陀つまりガウタマ・シッダールタが花が「咲く」ことと人が「笑う」ことを同様に捉えていたことが伺えるエピソード「拈華微笑ねんげみしょう」に照らすならーーーこの国で仏教が栄華を極めていた奈良時代を生きた老にとってそれはおそらく暗喩的に、都を行き交う人々の表情つまり笑顔の人たちが行き交う様子をもこの歌に詠み含めることは想定の範囲内であったといえるでしょう。
そうして今回の論点の鍵となっているのがこの「にほふ」ということばなのですがーーーそうこのことばこそ「にほん」の語源です。
昨今「日本」をその字面から、いやそうでなくテレビや新聞などのマスメディアの情報に感化され、ニッポンと呼んでいる方々もかなりおられるようですが、よい機会なのでここは想像力を使ってーーー例えば、あなたの名前が「鈴木花子すずきはなこ」だとしましょう。
にも関わらず、 権威ある機関に目上の誰かしらにその字面からそうとも読めなくはないという理由だけで「鈴木花子りんきかこ」さんと呼ばれたらあなたはどうしますか?
いやいやあなたはきっと訂正するでしょう?
そう、それが至極当然。
しかしながら、そういったことに対して大方の日本人はなぜか沈黙しーーー否それどころか、なんの疑問もなく受け入れました。
つまり平たくいうなら現代の日本人とくに現状における大人たちは、おかしいことをおかしいとはいわないーーーそれは「わからない」からなのでしょうけど、いうなればそれは「自らでも考えようとはしない」からであり、ひいては「当事者意識」が欠けているからであり、さらには「意識的に生きていない」つまり「生きる為にこそ生きている」というよりも「死ぬ為にこそ生きている」ということがわかります。
ですから、このくだりについては、ほかの記事においても繰り返し表現されることになりそうですが、とにかく、その根はその闇は、相当に深いのです。
お氣づきにはなりませんか?
あなたもきっとご存知のようにーーー古来よりこの国は言霊の幸わう国でした。
大和やまとから「にほん」へとその名を変えるに当たり、先人たちが真心からの願いを込めてこの名を選んだことはいうまでもありません。
そう、きっとーーーまだ見ぬ未来の人たちが、つまり子々孫々たるわたしやあなたやすべての人がみなその唯一無二たる存在の花を咲かせて笑顔で暮らしている、そんな光景を切に願ったからこそ「にほん」と名づけたのです。
現代では子どもの名づけにおいてときにその逆も然りとなっていることは否めませんがーーー当時として漢字はあくまで当て字でしかなく、その音こそが先んじてありました。
そうこの「音」にこそ「霊」は宿っている。
ですからここはこの国は、ニッポンと呼んでも構わないなどということは一切なく「にほん」としか呼びようがないのです。
いや本当のところ字面からも読めるはずのないニッポンって、誰の為なんでしょうね?
この記事のきっかけとなったことばのみならず所詮ことばは方便でしかないことを、先人たちがどこかでわかっていてもーーーそれが「月を指す指」でしかないことをどこかで知っていたとしてもその真たる知恵を人として大切なことを伝える為にはこのことばを駆使するしかありませんでした。
まだ見ぬ未来の世代の子々孫々たちに自分たちが経験・体験してこそ手にしてきた数々の知恵を伝える為にーーーその為になら自分たちを、ときに反面教師としてときに教師として如何様にも参考にしてもらえたらと、それは愛であるとしかいいようのないものです。
ただし現状そしてここまでの流れは、欧州などとの交流によって先人からたしかに受け継いだ独自の「らしさ」や「精神性」は明らかに破壊し尽くされてしまう寸前にあってーーー首の皮一枚でどうにか繋がっている状態にあるような氣がします。
もちろんそれすらもが宇宙の意図であり、完璧な流れなのだと理解しないわけではありませんがーーーこの惨状が時折、情けなくて切なくてたまらない瞬間を引き起こすのもまた事実で。
正直、苦しくもあります。
ところで折しも国は、新型コロナウィルス感染症と呼んでいるものにおけるパプリック・コメントの募集を始めました。
以下にそのリンクを貼り付けておきます。
公示日:2020年12月24日
受付締切日時:2021年1月12日23時
所管省庁:内閣官房
新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令の一部を改正する政令(案)に関する御意見の募集について
公示日:2020年12月17日
受付締切日時:2021年1月15日23時
所管省庁:厚生労働省
新型コロナウイルス感染症を検疫法第三十四条第一項の感染症の種類として指定する等の政令の一部を改正する政令(案)に関する御意見の募集について
公示日:2020年12月17日
受付締切日時:2021年1月15日23時
所管省庁:厚生労働省
さて、 あなたも先人たちのように未だ見ぬ世代の子々孫々たちの笑顔の花咲く光景を願うならーーーあなたにできることの一つが今あなたに氣づかれていようといまいと、あなたの眼前にたしかに用意されています。
これはチャンスでしかありません。
正に、これまでは沈黙するだけ逃避するだけで対峙することを後回しにしてきた所謂ピンチというやつでもあってーーーこれは大いなる機会になりえます。
ちなみに、これはことばを尽くしても伝わるかわかりませんがーーーにほん語は、宇宙からの贈り物たる「霊」を宿した唯一無二の言語。
また人類の起源は、誰もがそのように聞かされ教えられ、ほとんどの人がそれが正しいと思い込んでいるアフリカではなくーーーこの列島の真ん中にこそありました。
いや信じる信じないの話しではありませんので議論は無用ーーーこの日本語にこそ宇宙由来の叡智は秘められていてわたしたち日本人にこそ与えられている役目があります。
ですから先ずあなたは先人たちとたしかに繋がっていることを知ってください。
また、あなたは未来の主役たる未だ見ぬ世代の子々孫々たちとたしかにも繋がっているということを知ってください。
そう日本語も繋いでいます。
今だからこそ、その事実に目覚めてください。
そうして、 つまりあなたはすべてでありすべてはあなたなのですからーーーあなたの為すことはすべての為になるのです。
なにを為すのかよりどう為すのか?
そう全身全霊でーーー要はあなたのもたらす質こそが大切なことなのです。
だからとくに徒党を組む必要はありません。
あなたの内側で共感を覚えるならあなたの内奥からゴーサインが出たなら、あなたはあなたにそれを許可し行動すればいいだけ。
この世において所詮ことばは方便でしかなく、鵜呑みにする必要がないとはいえーーーやはり大切なことです。
あなたもわたしも過去や未来どころかすべてと繋がっているからこそそのすべてがあってこそ今、存在しているということを改めて認知した上でーーー肉眼で見ることの出来るもの・出来ないものの別なくすべては繋がっているという事実の上に、これ以上、他人事として沈黙するのは逃避するのはもう止めませんか?
かの「他人のふり見て我がふり直せ」や「明日は我が身」といったことばも過去・現在・未来に存在するすべてにおいて他人事はないのだと伝えることばなのです。
今あなたにできることの一つはあまりにも明白で、 上記にあるようにパブリック・コメントの締切りは1月12日と1月15日になっています。
あなたという存在の光が今、必要です。
その集合無意識を利用して創られている世界に没入するのも、もちろんあなたの自由ではありますがーーーそこから抜け出すか否かを決めるのもあなたの自由であるということをくれぐれもお忘れなきように。
P.S. そうあなたも「ネオ」だから。