この自由は詩う

今、このときをうたふ。

理なき世界で愛を叫ぶ

こんばんは。

 

 

今夜は徒然なるままにつらつらとその本音から述べてみるとしましょう。

 

 

ブログを始めて約三か月経ちましたがやはりか正直ことばで表現するのは骨が折れます。

 

 

この内側にあってあふれてくるものを言語化表現するとなると読み手においては出来るだけ不用な解釈とならないようにと思考がはたらくからやも知れません。

 

 

 

ですからここでは「所詮ことばは方便とその前提に早々にクギを刺しておいたともいえますし常にか「あなた次第」と述べるのも事実それは当然のことであるのを差し引いてもそうした諸々が相まってか結局そのように表現するほかないということでもあるのです。

 

 

ちなみにノンデュアリティなどの教師が「サイレントリトリート」と銘打つそれらはやはりか的を得ていてーーーそうことばが無くともエネルギーの交換においてつまり渡し合い=渡し愛おいてそれは為され得るからともいうことが出来ます。

 

 

 

そう本当はことばなど必要ではありません。

 

 

 

 

 

さてここからが本題です。

 

 

そうかの「自明の理」もしくは「火を見るよりも明らか」ということばがあるように説明するまでもなく根拠を示すまでもなく誰にとっても明白である道理つまりは誰の目にも見えているだろう事実を前提にするなら本当はことばなど必要ありません。

 

 

そうなるとときの政府が各県の各自治の長がマスメディアが声高に連呼しているコロナ渦とやらとそれに関連する情報や対策なとについてーーーもしそれらが事実であるなら言語化する必要すらないことになるのです。

 

 

コレお氣づきでしたか?

 

 

得てして道理とは事実とは誰の目にも明らかであることをいうのですからわざわざも煽る必要すらないでしょうになぜか言語化してまで延々これでもかと連呼しておられます。

 

 

そう興味もないわたしにも聴こえるように。

 

 

つまり彼らのなかではコロナ渦とやらが起きているのかも知れませんが誰の目にも明らかない以上それらは道理とも事実ともいえるものなくさらにはそれ以上でも以下でもないのだいうことになる。

 

 

 

そうあなたにはあなたの肉眼ではその主役たるウィルスでさえも見ることは出来ません。

 

 

そうしてあなたの肉眼で見ることが出来るのはせいぜいマスクを常に着用している人間ひいてはその塊と呼べるか知れない大衆ではあってもそれ以上以下でもない。

 

 

それだけ。

 

 

またそこへ来て彼らが声高に連呼する未知なる感染症だの未知のウィルスだのはてまたマスクや除菌がよいだのといわれたらいわれたでその説を好き勝手に都合よく関連づけてその道理とは事実とはの方向へと誘われている。

 

 

そうただそれだけのことなのに人間いろいろと好き勝手に紐づけながら解釈しこれまた好き勝手に都合のよい色をつけながら地団駄ふんでそうして勝手に思い込む。

 

 

その繰り返しでしかありません。

 

 

 

マスクを着用「しなければ」ーーー人間としてそのようにしなければ他者に迷惑を掛けることになる「かも」知れないし常識のない人間だと思われるに「違いない」いやそれでは困る。

 

 

とまあ云々かんぬん。

 

 

いやコレもちろんその事例は違ってもわたしも覚えはあってその例にもれません。

 

 

ただしそのようにあってもそれに氣づいているいうにおいてこの話しは全くもって毛色の違うものとなるーーーいやこの辺りでそろそろづきになりませんか?

 

 

 

 

 

さて前述したようにわたしは正直なところそのコロナ渦とやらにそれらに興味すらありませんーーーというのもそれをこの目で直に見たこともなければこの手で直に触れたこともさらにはこの舌で直に味わったこともないからです。

 

 

ですからそれについていうなら私はなにも知らないわからないーーーつまり世間でいわれている馬鹿で阿呆で無知あるということなるでしょう。

 

 

ただなにも問題ない。

 

 

 

そう今ここで思わず吹き出しそうになりながらもなに一つ問題ないと述べている。

 

 

またそうして今ここに存在しているというこの喜びが胸の辺りをおそらく目頭の辺りをも熱くして涙もこぼれてくるほどにそれは感謝でしかありません。

 

 

ただそのようにしかいえない。

 

 

やはりか本当はことばなど必要ありません。

 

 

 

ともあれせっかく五体満足で五感があり手足があるのですから好きなことやりたいこと出来ることをどうあっても為したいし為してみたいと思うのがわたしでもあるのでーーーその日常のことを少し述べてみるとしましょう。

 

 

そう余程のことがないかぎり庭で畑で過ごして土をいじったり花木を手入れしたりといわゆる野良仕事にいそしんでいます。

 

 

とはいえ野鳥や昆虫や草花や木々や大地や大空遊んでいるといった方が案外としっくり来るかも知れません。

 

 

それは「しなければならない」ではないからでつまりそれらは「そうしたいから」や「ここにいたいから」などがその原点でもあるからに他ならないからでしょう。

 

 

そうブログについてもやりたいからやっているのはもちろんですがそれと同時進行的にどこか突き動かされているともいえます。

 

 

ですから毎日はムリ。

 

 

なんであれどうあっても無常の世界でブログの記事をかき「続けなければならない」というのはやはりか不自然でーーーこれは正にマスクを着用し「続けなければならない」に均しいものでしかないことは明らかです。

 

 

そうして「はじめまして」でいつまで続くことやらと述べたのも本音でしかありません。

 

 

 

いや今がそのときだといっているわけではありませんが「こうでなければならない」の世界につまりは理なき世界にいながらにしてそこから一歩で一瞬でおいとまして理の世界に立つときーーーそれは自由で氣ままでかつ孤高であるとしかいいようもないのです

 

 

そうちなみにわたしは一人は苦ではないけれど寧ろ群れるのは苦手かも知れません。

 

 

 

ともあれ世間に見られる収容所生活とはやはりか明らかに違ってそれは時計をする必要のないどちらかというと体内時計と太陽の傾きまたは空色が教えてくれることにただ応答するというようなものであるといえーーーお腹が空いたら食べ喉が渇いたら潤し咳もくしゃみもそのまま太陽が西の空に傾いて空が赤くなり始めた家内に戻り眠くなったなら眠る。

 

 

いや思い起こせばそのベースはいつからかもうずっと変わってはいなくて。

 

 

ですから寧ろときになにかしらに夢中になっていて辺りがすっかり暗くなっていたということも往々にしてあって食事の支度が遅くなりそうなったことはありますがそこはやはり一人であっても問題などありませんけど母二人でも実はさほどの問題でなくこれがまた上手いこと回っていくもの

 

 

そう基本的にその瞬間それを出来る人がそれをやればよいということでしかなく。

 

 

例えば商店の営業時間の短縮についてならもしそれに協力しても尚その生活にその笑顔に支障なくあるならそれもまた良しといえなくもありませんがーーーそれでもその前提がイヤイヤであったりの「しなければならない」では結果は自ずから目に見えている。

 

 

それこそ道理で誰の目にも明らか。

 

 

そうして「こうあらねばならない」や「こうでなければならない」はここにはこのブログには今ここにはなに一つもないといえるでしょう

 

 

またそれは偶然にか太陽星座が獅子座のそれはネコのように自由で氣ままで孤高というーーーある意味ギャップのない無理のない姿になっていたということでもあって近所では少し浮いてもいるようですが。

 

 

まあコレあくまでも母の談。

 

 

それでも理なき世界にいながらもわたしはただ笑顔でいられる方向へと敢えて私を苦しめたりしない方向へと至極当たり前に進んでいくことでしょう。

 

 

それが理ことわりの世界でもあります。

 

 

 

 

 

さて実は前回のシンナー中毒者の話しは幼い頃に夏休みになると遊んでいた親戚のお姉ちゃんのそう事実談でーーー斯くいうわたしも叩いて埃ひとつも出ないような何者かであるといえるような人間でもありません。

 

 

ただどうあっても結局は自分次第でいくらでも生まれ変われるものでその世界を変えられるのはやはりか「わたし」でしかなく。

 

 

そのコロナ渦とやらを終わらせることが出来るのもその現代版のアウシュヴィッツ収容所からあなたを助け出すことが出来るのも他の誰でもないあなたでその「わたし」でしかあり得ないということです。

 

 

そう他者に他の誰かに期待してもムダです。

 

 

 

それは一歩で一瞬でつまりは光速度で成し遂げられることなので知識など要らないしましてや資格などのなに一つも必要ない。

 

 

そうただただあなた次第。

 

 

わたしたち人間の老若男女の誰においても通用する当たり前のことでしかありません。

 

 

それは「ああしたい」や「こうしたい」「ここにいたい」「楽しい」「あははは」のどこまでも理にかなった世界つまり理ことわりの世界に還ることです。

 

 

ですからわたしはそれをそのことをいろいろなパターンでもって伝えるだけでもあります。

 

 

 

今ここで今スグにも還りましょう。

 

 

 

P.S. ただいま、お帰り。