なぜ仏像は半眼なのか?
そうぽんやりと薄っすらとしか見えなくてよいことがあるということなのだろう。
そうその目に見えないものはわざわざ見ようとするまでもなくそのままでよいということだ。
そうそのままでよい。
そうして必要なら直に知るに至るがそうでないのならそれは放っておいたらよい。
いや人間は誰であれ歳を重ねるごとにその目も見えづらくなってその耳も聴こえづらくなってその鼻も効きにくくなってお喋りもゆっくりとさらには食も細くなってまた足腰も弱くなって思考力も低下し疲れやすく眠くなることも増えあとはお迎えを待つばかりとなってゆく。
そしてその流れに淀みはない。
そうその流れに抗うことなく流れに身を任せるなら尚のことそれは淀みなくその流れは直ひたすらに母なる海へと向かうだろう。
そう還るだろう。
ただそれだけのことなのだ。
いや本当はきっとそれだけでよいのだ。
P.S. わざわざも苦しみを背負う必要はない。